DAIKYU DIARY 大九日誌

シンコーストゥディオ代表 米井がつづっています

普通の人が、アートと人の幸せの関わりについて語ること-コンテンポラリー・ジュエリーを通して

アートとしてのジュエリー


アートとしてのジュエリーに、コンテンポラリー・ジュエリー・といわれる分野があります。
つまり、身に着けられるアート。
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今私が運営しているシンコーストゥディオというコレクションでも、昨年ドイツで活動する、コンテンポラリー・ジュエリー・アーティスト西林佳寿子ととコラボレイトをして、新しいジュエリーをリリースしました。
実は、アーティストと組んでジュエリーをつくるという試みは、日本ではあまりされていません。
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と言っても、私がアートやデザインに深い造詣があるわけではないのです。

しかし、西林さんの作品は最初に見たときから、なんて美しいラインなんだ、質感なんだ!と思いました。
アートを感じるとか、デザインを論じるとか、なんかそういうことはどうでもよく、理屈抜きにきれいだ、心地良いと感じるものってありませんか?
それが、たまたま私の仕事の、ジュエリーとつながった。ということだと思うのです。
アートって特別な人たちがするもの、鑑賞するものだと思っていたのが、実は違っていたと最近認識を改めています。

普通の人が感じるままに


だいたい、アートという線引き自体が実際難しい。
確かにデザインは、社会の要望から立ち上がってきたもので、それに応えていくのがデザイン。
アートは、それをつくる側の個人的内面を表現したもの。
といわれます。
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しかし、デザインもアートから影響を受けたり、現代ではアーティストが全く受け取る側の要望を無視しているかというと、そうでもないでしょう。

だからあえて、私のようなアーティストでもなく、特に感度の鋭い生活をしているわけでもない人間が、その魅力を語ってもいいのではないかと考え初めています。

私の私生活も全くアートやデザインに満ちているわけではありません。
かけたお茶碗をいつまでも使っていたり、かなり使い込まれたタオルを愛用していたり。
そういうところに、ちょっとだけアートが入り込んでくるのが、楽しいかも?と思います。

正直、専門家ではないから、アートの定義や、こうでなければいけないというのはわからない。

生活のどこにでもある、じわっとした幸福感


本来人が「幸せ」と感じるのは、お金とか所有しているものの価値ではなく、ごく普段の生活でじわっと感じる幸せな瞬間の積み重ねなのではないでしょうか?
お風呂に入って気持ちよかったとか、今日聞いたあの音楽は心地よかったとか、果ては洋服のチャックがうまくしまったとか...

そういったものは、普遍で、富の多い少ないには左右されないし、かなり皆に平等に与えられる機会なのです。
そこに、アートの提案と言うのは、別に特別なものをアートと呼ぶわけではなく、やはり心地いい形や心地いい物に少し触れているということが、本来の幸せなのだろうと思うからです。

感覚的なもの、感性的なもの。
そんな、数値では測れないもやもやしたものこそ、うれしく、楽しい。

西林佳寿子展 銀座で2017年5月7日~13日銀座でやってます。
造形が楽しい。
西林さんの人柄も好きです。
西林佳寿子個展


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シンコーストゥディオ/ジュエリー・アーティスト・ジャパン(JAJ)

代表 米井亜紀子

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